ぐるぐる雑記

ぬーん

ララランド、つまララランド

観ました、ララランド。正確には観切ってない、退屈なもんで途中で映画館を飛び出してしまった。

映画好きの友達に「ララランド観たつまらなかった」と連絡すると「どうしてああなった、逆に笑えた」と。だよね。信頼できるのは、身近な人の意見。

 

話変わって、アマゾンプライムで、ティファニーで朝食を、を観た。オードリー・ヘップバーンのやつ。今までタイトルとヘップバーンの華やかな格好から、ハイソサエティな女性がティファニーでナンヤカンヤで男女がララランドかと思って手を伸ばさなかったんだけれど。夜に眠れなくて本も読みたくなくて、良い機会だから観てみたら、話全然違うし(失礼)、素晴らしい映画なんだね(何様)。すごい今更感あるけれどさ。40年くらい時差あるけどさ。

ララランドが40年後にまた見返されるかと言われると微妙なんじゃないかなと思っちゃう。アマゾンプライム6プラスとか40年後に出来たとしても、そこにあるのは今と変わらない、戦後すぐの時代の、銀幕の映画だったりしてね。

 

カポーティの原作を読みたいなあと思った。ねえこれはつまらない疑問かもしれないけれど、カポーティの時代の人たちの方が生きることの辛さや切なさを知っている気がするのは気のせいなのかな。形を変えて、今も探せば見つかるかな。

 

再度思うけれど、ララランド、観る人を馬鹿にしてんじゃないかなと思っちゃった。最後まで観てないわたしが映画を馬鹿にすることが一番馬鹿にしてるんだろうが。分かりやすいって、馬鹿にされてる気がするね。そういや村上春樹がなんかの話で、「自分の仕事はひとりひとりの魂に尊厳の光を当てることだ」って言ってたけど、ほんとに偉いなと思う。欲求から来る芸術は独りよがりでしかないって、偉い人が言ってたけど、ララランドを見る限り本当にそうなのかもね。芸術や文学の最たる目的は、村上春樹の言うような、個人の魂に光を当てる、それなのかもしれないと思う。じゃないとそれらがひろく、誰かを救うことなんかできないじゃないの。

ララランドは、独りよがりというか、アカデミー会員よがりに見えてしまったなあ。人が生きる上で、何かの助けになる映画には見えないや。消費する娯楽程度のものなんだろう。

何はともあれ、時間とお金が惜しかった。チッ。