ぐるぐる雑記

ぬーん

荒木陽子『愛情生活』、運命みたいなふたり

お題「読書感想文」

人ヅマのヌードばっか撮ってるアラーキーの亡き奥さん、荒木陽子の書いた夫婦の生活の本なんだけれど、困った…これ読んでると贅沢がしたくなってくる…。

 

愛情生活

愛情生活

 

 

 

そういえば最近わたし卒業間近のくせに妊娠したんです。で、うちの母に妊娠を伝えるとき、どうしたらいいか分からないから沈鬱な気分をごまかすために新大久保イチおいしいタイ料理屋さん「バーン・タム」に母を呼んで、ハッピー&ガヤガヤの中で「妊娠しました!」って笑い飛ばすつもりが、想像以上に店内がうるさすぎたのと自分の臆病さのせいで何も伝えられず、アボカドサラダとパープッポンカリー(ソフトシェルの卵カレー炒め)とガパオを頬張って、会計を済ましたあと、しびれを切らした母に、
「で、相談ってなに」
と言われ
「どうせ妊娠でもしたんでしょ」
と見抜かれた(母というのはどうしてこうエスパーなんでしょうか)。
わたしが「どうしよう〜」と路上でエコーの写真を見せながらメソメソ泣いていると、強くたくましい母は
「タクシー!新宿西口のヒルトンまで」
とタクシーを捕まえて、ヒルトンのバーラウンジまでわたしを連れていき、ソファにドカッと腰掛けてシンガポール・スリングをひとくち飲んでからやっと話をはじめたのである…(中国人に間違えられたけど)。
たくましい母…わたしの母にとって、贅沢は癒やしなのだ…。

 

しかしこの本を読んでいると、贅沢している荒木陽子に自分を重ねたくなる。ホテルでアワビのステーキとか食べてシャンパン飲みたい。青山の小さなレストランでテリーヌとか食べたい。素敵な真珠のネックレスしたい。
わたしの少ない女の子という女の子な部分が刺激されて、黙ってられないわけです。女の子としての承認欲求を贅沢で満たしたくなる、そんな気持ちが自分の中で膨れ上がるわけです。

 

一時期、付き合ってた男の人はマジな紳士的なタイプのロマンチストで(誕生日プレゼントは薔薇の花束だった)、その男の人とは20歳そこそこのくせに、通っていたフレンチのレストランがあった。年に3回くらい、バイトして貯めたお金で、服買って靴買って、一番高い時計をして、代官山まで出かけておいしいランチを食べに行っていた。
「いつかディナーも食べたいね」
なんて言っていたけれど結局別れて、そのあと一回だけその男の人と六本木に移転したお店に行ったけれど、内装も支配人も変わっていて、なんだか彼にもお店にも味にも馴染めなかった気がする。全部終わっちゃったんだな、なんてそこで思ったのだ。
今でも最初にその場所で食べたものは思い出せるし、あのときの特別な幸福感は胸の中にある。桃のサイダーが美味しかったから、きっと今頃の季節に行っていたんだろうな、なんて思い出す。
それに何より、贅沢する前にちょっと背伸びして化粧したり服着たりピアスをつけるのって、本当に気持ちがいい。わたしなんだけど、ちょっと贅沢なわたしになれるわけです。背筋なんかもピンとしちゃったりして。
そういう気持ちをぐぐっと、思い出させる話がたくさん。

 

…いやほんとはね、こんなこと書きたかった。
「愛が消え去り跡形もなくなったのなら、記録も一緒に消滅すればよいのである。しかし愛が消え去ったと思っている人間の心の片隅に、記憶というものが、いつまでも存在するように、記録もまた、永遠に存在するものなのだ。残酷なほどの生生しさで。」
これこそ、この本そのものなんじゃないかなと思う。陽子さんは死んだ、この本を書いている陽子さんは随分前に死んだのだ。そのことが妙にこの本を読んでいる間中頭の中にこびりついていた。
別に遠藤周作だって死んでる。でも海と毒薬を読んでも、そのことは別に意識されなかった。
生きていた愛、つかめないし、だれにも見ることはできないけれど、生々しく生きていた愛、それがこの本には息づいたまま閉じ込められている。だからこそ、死んでしまった、という事実がとても色濃く感じられてしまう気がする。
逆にアラーキーのセンチメンタルの旅・冬の旅なんか見ると、写真の中で陽子さんはたしかに生きているのに、死ににいく過程をたんたんと辿っているような気がする。生きてるはずなのに運命づけられた死が、その表情の中に、その寝ている姿の中に、常に漂っている。
死んでしまった中にある生が、荒木陽子が残したものだとしたら、生きている中にある死が、荒木経惟が陽子さんの中に見たものだったのかな、なんて思う。なんだかとっても、愛おしいふたりだ。運命みたいなふたりなんだ、と思った。

 

……卒論やば〜。

内田樹『困難な結婚』

いやはや、ブログの更新がお久しぶりである。その間に、すんごいいろんなことがあった。生きるの辛い!!から少し脱出できたと思ったらまさかの状況である…。

さいきん、内田樹の『困難な結婚』を読んだ。なぜか、結婚するから。

 

困難な結婚

困難な結婚

 

 

大学をあと一ヶ月で卒業とはいえ、まだ私も彼も内定ももらっていない(おいおい一応良い大学行かせてもらってるのになんでだ)。なにゆえそんな状況で結婚をするのか。「既成事実」である。できちゃったわけだ。
できちゃったことに関してはことさらここで書く必要もない。できたことにはできてしまったからそれはもう殺すことはできないわけで、じゃあゆるりと育ててみようかということだ(現実を甘く見すぎているか)。

問題は結婚生活である。私と彼の共通点は、責任から逃げまくってきたことだ。良い意味でマイペースで、悪い意味で言えば無責任。しかしまあ、そのマイペースさから言えば彼は人間としてはとてもおもしろい。台湾から帰ってきたらよくわからないうちにクリスチャンの洗礼を受けていたり(断るのが面倒だったらしい)、家賃滞納で家を追い出されて浅草でホームレスをして炊き出しに混ざってタダ飯を食っていたり。でも、無責任という面でとらえると結婚相手としては正直「?」である。彼の方もそうみたいだ。
「付き合うのはいいけれど、この人と結婚していいのかな・・・」
そんなもやもやとした思いを私も彼も抱えているわけである。それに私の家庭は離婚家庭ではないが、彼の家庭が離婚家庭なので結婚そのものに離婚の要素を見出してしまって不安になってしまうみたいなのである。

そういうわけで、『困難な結婚』を読んだ。結婚…想像するだけで困難だよな…(もう卒論どころではない)。

大きく学んだ点はひとつ。「結婚は相手がどうだこうだというより、自分がどうなるかどうであるか」ということ。内田樹いわく、『大体だれと結婚しても一緒』な訳は、結婚相手によって自分の中のある一面が顔を出すわけで、ある一面は結局は自分の中にもともと存在している一面なので(とまでは書いてなかったけど)、結局だれと結婚するかというのは自分の中のどの一面が顔を出すか、ということに過ぎない。だからもし結婚して「なんであいつの無能のせいでこんなに苦しい思いしなきゃいけないねん」ってなったとき、それはあいつのせいじゃなくて自分のせいでもある。まあたしかにそうだよね。恋愛でもそうだもんね。

よくよく結婚に関して考えてみておもったのは、相手はけっきょく他人だということ。彼氏〜彼女〜ってほやほやしてる間は、「この人だけが世界での理解者だ…」なんて思うこともあるわけで、この孤独で冷たい世界で見つけた北斗七星みたいな存在…とか思うこともあるんだけど、結婚を意識すると、突然他人という要素が強く感じられるようになる。育ってきた家庭がちがけりゃ、地域もちがう。私は田園地帯の田んぼの中で育ったから田舎が結構好きだけど、彼は都会が大好き。神奈川の実家で間借りしようとなっても、「ああ僕の都会ライフ…」なわけである(そんなこと言える状況か)。
でも違って当たり前で、その違うっていう事実を楽しめないと結局ツマンナイんだろうねって内田樹は言っている。違ったとこが多いほど、年月を重ねて似てくるところが増えて、それが結婚の醍醐味だって。まあそこまで辛抱するのが大事だよね。「結婚は辛抱だ」 by 父。

しかし不思議なのは子供という存在。子供にとっては、他人であるはずの私/彼は血の繋がった家族なのだ。確かに小さい頃、お父さんとお母さんが離婚することは想像すらできなかったのは、血の繋がった家族はずっと一緒であるということを疑いなく信じていたからな気がする。けれど実際は、お父さんとお母さんは他人。子供の私から見れば、みんな血が繋がってるけれど、でも違う。不思議すぎる。
正直、彼に対しては「私のこと大切にしなくていいから、子供は大切にして」って感じである。他人なんだからもう夫婦は会社関係ぐらい割り切れる関係であって、でも子供だけは別。子供だけはちゃんと大切にする。わたしの分身なわけなので。

うちの両親はなかなか仲がよい。まあ寺という職業柄ずーっと一緒に仕事して生活してるのもあるが、それでもお昼に来客がなかったりすると2人でオープンカーに乗って箱根にドライブしてくる、小田原に蕎麦食べてくる、とか結構している。マイルスのCD聞いていた父が突然「お母さん!ちょっと一緒に聞いてよ。やっぱりマイルスってすごいかっこいいんだよ」なんて言ってお母さんをリビングから音楽室へと連れ去ったりする。でも両親のことをよくよく観察していると、これはお互いかなり他人だと思ってるな、と感じたりする。しかし、「お互い他人」の先にある次のステージに両親はいるということもひしひしと伝わってくる。他人だと割り切った上で、夫婦であることの、ちょっとやそっとではびくともしないだろうという関係性の強さというのがうちの両親にはあるのである。
「嫌いになってもねー、我慢をぐっとすればそのうちまた元に戻るから」という母の言葉が身に染みる。嫌いだからって別れられないのが結婚関係なわけで(とわたしは両親を見て学んだ)、けどイヤダイヤダと言いながら続けたらそれなりに良いと思える未来があるんだろうな、と。例えばそれは、キューバに行ってきれいな景色を見て強盗に襲われて危機一髪とか、中国で人身売買されそうになるとか、そういう独身時代だからできる破天荒でおもしろい未来からは遠く離れてしまうだろう(全くできないということはないんだろう)。けれど、結婚して、イヤダイヤダと言いながら続けて、じゃないと見えない人間関係だって、なんか、まあ面白そうじゃん、とか思ったわけだ。
「結婚する相手が現れません」、という質問に対して内田樹はこんな風なことを言ってた。出来る人や楽しめる人というのは与えられた状況の中で創造的に判断ができる、と。大事なのは、自分の身の丈をちゃんと把握することと、与えられた状況でいかによく生きていくか。与えられちゃったんだもん、がんばるしかないよね。

 昨日まで貧血&つわりでグロッキーだったのが嘘のように今日は元気で頭も動くようになったので、KISSの『KISS』とか聞きながら、通学途中に日記などを書いてみた。


というわけで結婚しまーす。

『うりずんの雨』- 被害者だからって人を傷つけていいんだろうか?

お題「最近見た映画」

突然だけれど、わたしの母親は沖縄の生まれで、そのせいか沖縄関係の問題をニュースで見ると複雑な気持ちになる。報道は現実の一部しか切り取らないという言葉があるように、本当にそうで、ニュースで見る沖縄というのは「怒り狂った住民」に溢れた島のような気がしてしまう。

ニュースで扱われる沖縄問題は、基本的に基地問題である。基地問題の背景にあるのは、第二次世界大戦での沖縄の地上戦、米軍統治時代、日本返還後の不当な扱いなど、納得したくなるくらい結構ひどい扱いを受けているのはなんとなく想像がつく。

一方で、祖母の家に行って、いろんな人と話すと必ずしも全員が怒り狂っているわけではないということがわかる(そりゃそーだ)。基地に反対の人もいれば賛成の人もいる。けれどそんな多様な選択肢が存在して、多様な考えを持つ沖縄の人の一部を写すことでなんだかイメージが偏ってしまう気がする。。

たとえば神奈川の親戚に、まったく沖縄と関係のない一家がいて、彼らがある日うちに来たときに沖縄出身の母に向かってこう言った。「わたしたちが代わりに普天間基地の反対運動してきたわよ!」と。別に望んでもないし、母親はそういう反対運動に無関心だけれど、メディアによって作られた沖縄人像として振る舞わなければならず「ありがとうございます」と応答していた。その話しは何回か愚痴として語られていたから、よかれと思って「あなたのために」という視点は迷惑だったんだと思う。神奈川の親戚は心から普天間基地に苛立っている人たちに同情していたのかもしれないから、批判はできないけれど。

大学の友達に誘われて、ジャン・ユンカーマン監督の『うりずんの雨』という3時間もある(!)やたら長い沖縄に関するドキュメンタリー映画を見てきた。そしてやはり同じ感想を持った。


「沖縄 うりずんの雨」予告編

映画の中で、2つこころに引っかかったシーンがある。1つは基地のフェンスに貼られた「オスプレイ本土の空を飛べ」と書かれた張り紙。もう1つは、沖縄の12才の女の子をレイプして殺した共犯者の元米軍兵へのインタビュー。

2つに共通して思ったこと、それは、「被害者だったら誰かを傷つけてもいいんだろうか?」ということ。

沖縄の人たちはたしかに不当な扱いを受けてきた。沖縄の人たちだけでなく、世の中のたくさんの人達は不当な扱いを受けているだろう。たとえば福島の人たちへの風評被害もそうだ。けれども、そういう「被害者」とされる人たちの反対運動を見ているとたまにものすごい違和感に襲われる。宗教みたいだからだろうか?

けれど、反対!と言って誰かを批判したり傷つける行為は違うんじゃないかな?と思う。その根底には、わたしは被害者だから、という意識があるんじゃないかなと思う。被害者なんだから怒って当然なんだ、という意識。でも考えてみると、被害者だと思って当然の行動を取っていたら加害者になってしまうんじゃないかって。

たとえば「オスプレイ本土の空を飛べ」っていう張り紙だって、危険度の高いオスプレイの被害者は沖縄人ではなく、本土の人間ならいいんだ、っていうこと?って思ってしまった。わたしの家の近くにも米軍基地が2つあって、普天間ほどとは言わないけれど結構な頻度で飛行機が飛ぶ。じゃあ、ここに落ちれば、彼らは安心なのかな、と思ってしまう(そういう気持ちすら出てきてしまう状況だということも言えるからそれを真っ向から否定することはできない)。

被害者という意識がある限り、加害者という対立の関係が絶対に存在する。自分は被害者だ被害者だと強く思えば思うほど、きっと加害者への憎しみが強く強くなっていくんじゃないかと思う。けれどそれって、何を変えられるんだろう?きっと、加害者役と被害者役を順番こで交代し続けるだけで、何も進展しないんじゃないかと思う。

映画の中で、ひとりだけ加害者・被害者の対立でモノを考えてないんじゃないかなという人がいた。石川真生さんという女性の写真家。彼女は若い頃、バーで働きながらたくさんのアメリカ兵と交流をして、そしてそこからアメリカや沖縄というものを考えていたみたいだ。

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こうやって個人の関係性のなかでものを考えるのと、概念だけで考えるのでは雲泥の差がある気がする。人間は頭がいい。だから概念だけでものごとをたくさん考えられる。けれども同時に愚かな側面だってたくさんあって、それだけを考えていると人の温かみの中で自分がいるということを忘れそうになってしまう。強いことだって言える、なんだって概念の中では言える。けれど、それを生身の人間に向けたとき、どうなるのだろう?

わたしは別に普天間に反対とか賛成とかそういう意見はない。けれども、考え方として、自分の立場を固めて、見えない何かに反対するのはとても怖いことだと思ってしまう。状況はつねに変わるし、わたしたち人間はどんなに強いふりをしていたって傷ついてしまう。被害者を悪いと言ってるんじゃない。加害者を悪いと言ってるんじゃない。その凝り固まった二項対立から一度抜け出して、ものを見た方がいいんじゃないかと思ってしまう。

ひさしぶりにそんなことを考えてみたけれど、考えたからって実行できてるわけじゃない。考えてみたことはやっと徒競走のスタートラインに立ったくらいのことで、結局なにひとつ行動はできていない。棄権しようが、だらだら走ってビリッケツでゴールしようが勝手だけれど、とりあえずこういうレーンがあるってことを知れたからいいよね。

 

引っ越しできた

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実家の最寄り駅からの風景。日曜日にさよならも言わないで、35Lのリュックひとつで家を出た。実家の寺ではだれかの葬式準備がされていた。わたしはそそくさと、リュックと寝袋を持って逃げていった。

「ふりかえるな、ふりかえるな、後ろには希望がない」という寺山修司の言葉を、電車を待ってこの景色を眺めている間に何度も考えた。そう、この土地にいた過去には、なんの希望もない。

 

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阿佐ヶ谷のアパートにはものがない。けれど晴れた日に学校をさぼって、商店街を散歩して、お豆腐を買い、電気をつけずに青が濃くなっていく空を眺めながら、お豆腐に鰹節と醤油をかけて食べるとき、わたしは幸せだ。買ってきた安いワインの栓抜きが見つからなくて、昨日恋人が持ってきてくれたキッチンに出しっ放しのぬるい缶ビールを飲みながら、ただがらんどうのアパートの一室でぼーっとしているとき、これが身の丈にあった秩序ある現実だと思う。そしてやっと息ができる気がした。

 

引っ越せました。うれしい。また日記書ける時間ができればいいな。

 

 

エドワード・ホッパーとか、ハンマースホイとかグレコとか

鷲田清一(わっしー)は言った。自分の痛みとはあまりに理不尽なゆえに悲しむことすらできない、と。(『「聴く」ことの力』)

わたしはよく理不尽な辛さに襲われる。さっきも家の廊下であまりに辛い気持ちになってキッチンに移動する足を止めてしまった。廊下に立ち尽くしてぐっとこらえる。ただ直立不動でこらえる。そしてなるべく波にさらわれず、過ぎるのを待って、キッチンへ向かい母親がイタリアの土産に買ってきた7ユーロの赤ワインをボトルの半分ほど飲んで、同じく土産の3年物のチーズをかじった。アルコールがあると、気分が緩やかになる。もしタバコがあったなら、気分は冷静になるけれど、タバコはしばらく吸うのを辞めているからここはぐっと我慢する。

そう、わっしーの言うことは本当だといことを書こうと、ワインを飲みながら考えていた。自分の痛みというのは理不尽だ。どこからやってきたのかよくわからないし、その実体さえつかめない。自分の悲しみは散らかった部屋のようだ。秩序がなく、手の施しようがないように見える。だけれど、一方で人の悲しみというのは秩序だって見える。もしくは散らかっていても、そこになにかしらの意味が見えるように。

わたしの母親は片付けが異様に下手で家中おそろしく散らかっているが本人はその理由がわかっていない。だから何度片付けても片付けても、また無限に散らかっていく。しかしわたしからすればその理由は明確で、ものをしまう場所のカテゴリーに対して、しまわれる物のカテゴリーが3倍くらい多い、それだけだ。巣の無い鳥が、巣がないから仕方なくそこらへんを飛び回るのと同じことが家の中の物たちの間で行われている。しかし母親は当事者すぎてそれが分からないから、片付けと散らかすを円周率並みに繰り返してしまう。無限ループ。アーメン。

他者の痛みは見るに値するというのは鷲田清一レヴィナスの主張だけれど、わたしは絵を見るときにこのことを考える。

絵画、それは先人たちが作ってくれた優れた器。そこには考え抜かれた喜びがあり悲しみがある。そして絵画を鑑賞するとき、わたしは自分の中の感情を絵に丸投げする。そして優れた器に収められてはじめて、わたしの悲しみや生きる辛さというものは見るに値するものになる。そこではじめて、わたしは自分のことをやっと冷静に見ることができる。

高校生のころ、ヴィルヘルム・ハンマースホイが好きだった。

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この絵は国立西洋美術館の常設展に展示されている絵で、上野にいくたびこの絵を見ていた。人のいない孤独。自分以外はこの世に存在しないかのような、静けさと空気に漂う神経質さが漂ってくる。しかし最近はこの絵があまり馴染まなくなってきた。

最近はエドワード・ホッパーの絵が見たくてしょうがない。

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たぶん有名なのはこの絵だ。どっかで見たことある気がする。同じ人物の絵なのだけれど、だいぶ様相が違う。今度は、社会の関係の中で感じる孤独がそこにある。ハンマースホイはもっと静かだったのに対して、ホッパーはある大きな機構の中でまるで自分が存在していないかのような孤独、そしてそれに対して疲弊しているような感じがとても良いのだ。

これらの絵を見比べていると、わたしの孤独の質が変わったんだな、というのが良くわかる。ホッパーの絵がとてもいいなと思うわたしはきっと、関係性の中で孤独を感じているんだろう、と思う。例によって、他者の痛みを借りて自分の感情に目を向けたわけである。

わたしは禅寺で育ったくせに、幼稚園・中学校・高校と、バキバキのカトリック校で過ごし、毎日聖書を読み続けてきたわけであるが、いままでキリスト教なんかうさんくせーと思っていた。シスターがうじゃうじゃいる学校だったが、なんだかやっぱり彼女たちの言うことは理解できなかった(神父さまの言うことも)。けれどこの前、どうしても気分が落ち込んだ時に国立西洋美術館で見たエル・グレコの絵に思わず涙してしまった。

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よくわかんないけど、この人はわたしのために苦しんでいる気がする、と思った。ブッダは悟った人で、すばらしい言葉をたくさん言っている。けれどやはり常人にはそれを目指すことしかできない。一方で、キリストはたしかに卓越した人だ。普通の人は湖の上を歩いたりしない(ミスターマリックは別として〕。けれど彼の生まれた使命は、人間の罪を負うためだった。

最初のことに戻るけれど、やはり人間には優れた器が必要だと思う。それは絵画であり宗教であり音楽であり文学である。誰かのちからを借りてやっっっっと、わたしは自分のことに目を向けられる。だからこそ、文化というのはなくならないし、文化がなくなったときこそ人間性の死だな、なんて思ってしまう。

 

今日も一応生きながらえたなーなんて思いながら。

ひとり暮らしがしたい愚痴

もうこの記事はただの愚痴だ。ひとり暮らしがしたい。なのになぜさせてくれないんだ。

「ひとりにならないとわたしが崩壊する!」と両親の前で泣き崩れてからはや一週間くらい経ったのだろうか。東京は阿佐ヶ谷で物件を探した。谷川俊太郎とご近所さんである。家賃はできれば自分で出したい。だから上限3万円の物件を探したが、それは見つけられなかった。正確に言えばあったことにはあったのだけれど、母親が頼むからこんな危険なところはやめてくれ、あなたは仮にも女の子なんだ、と懇願してきたから、それは却下された。で、代わりに探し当てたのが家賃5万6千円、木造2階建て、角部屋、二面採光、である。窓を開ければ借景で、お隣さんの豪邸の緑が採光に癒やされる。なによりも家賃を50%以上自分で出せるのがいい。自分の生活をなるべく自分で仕切りたい。誰にも頼りたくない。家賃を出して安全を買うなんて、結局は親に鎖の首輪をつながれたままなのだ。だからその割合はできるだけ減らしたかった。

そしてやっと、母親を内覧に連れていった。行く前にグーグルアースで見せて、どんなに素晴らしい物件かをプレゼンし、勝手に契約書に保証人を書き込んで不動産屋にファックス。手続きはほとんどすべて抑えてあり、あとはもう母親を連れて行くという不動産屋に対するパフォーマンスとしての証拠だけ作れば全て完璧だった。

そして母親・妹・わたしの3人で向かった内覧。しかし、そこで発揮される、母親のおせっかい。「お隣さん、男の人だね」「マンションみたいなところないのかな」「カーテンは二重にしなきゃだめだね」「男もののシャツとか干すんだよ」とか無限に忠告をしてくる。しきりに他の物件をチェックする。監獄みたいに密閉されたマンションじゃないと気がすまないみたいだ。わたしはもう22才なんですけれど、と言いたい。放っておいてほしいと嘆願しているのに、なんでしてくれないんだろう、と頭を悩ます。はっきりいうのならば、精神的に窮屈なのだ。そして家に帰ると父親にいかに悪い物件だったかを、わたしのいないところで話すのである。声は丸聞こえなのだが。わたしは「あーあ」と思う。家からきっと出してもらえない、と。

ねえ地球上のみんな。わたしは思うんですけど。愛は大事だ。けれど束縛はよくない。母のしていることは、わたしを家に縛り付ける行為だ。わたしがなんで家を出たいのか、彼女はあまり理解していない。理解はしているかもしれないけれど、親のエゴが無限にわたしを引きずり戻そうとする。愛が人を信じることを意味するのだとしたら、わたしを信じてくれたっていいじゃないかと思う。彼女がしていることは、自分の満足を満たすための行為でしかない。わたしが泣いて、自分の身が崩壊しないためにひとり暮らしするんだ、とお願いしているのに、どうして許可してくれないんだろう。わたしはもう限界を感じる。

一昨日、夜中に猛烈な腹痛に襲われ、トイレに3回通い、3回目にして気絶しそうになり、廊下を這いながら自室へと移動し、横になり意識が薄れていくのを感じていた。わたしは元来痛みに弱く、いい歳して膝をぶつけただけで気絶したことがある。そして今回も例外ではなく、腹痛のあまり気絶したわけであるが(幸いにもベッドの上で)、そこである3人の幻覚を見て、そして朝起きたときの「わたしやべーな」という自覚。わたしは見た。村上春樹と、谷川俊太郎と、高橋源一郎を。はっきりと、彼らの姿を見て、存在を自分の内側に感じた。その次の日、バイト先で切羽つまりすぎたわたしには、同僚の顔に黄色い10センチ幅の線が塗られているのを見た。何度目を瞬いても、その線は消えない。「やべーな、相当キテるなこれ」と、冷静をまだ装えるので大丈夫である。が、これも時間の問題で、そのうちに記憶喪失とか入りだすと結構やばい(どうやって家に帰ったのか覚えていない日などがあった)。物理法則みたいなので頭がいっぱいになり、電車恐怖症になり引きこもり、一日をベッドの上でただ天井を見るだけで終わらせる、というむかし陥ったことがまた起こり得る気がしてきて恐怖する。

「電車で倒れて、引きこもり状態になってたときに比べれば…」と父と母が朝方廊下で話していたのを聞いた。頼むよ、そんなに本人に聞こえる位置で話さないでくれよ、と思う。すみませんね家族のお荷物で、と。

けれどわたしだってがんばったんだ。中学受験の勉強も、受験も親の望むようにやった。あの頃わたしはストレスが溜まりまくり、自分の記憶のないうちに教科書などをゴミ箱に突っ込み続けるなどしていた。その時期の記憶はさっぱり消えているので、いまだに伝聞調でしかわからない。大学受験だって、親の望む大学に行った。世間に名の恥じない有名大学だし、なんなら1年半の間日本で一番むずかしい大学にだって通った。一流企業でインターンだってした。じゃあこれ以上わたしに何を望むのだ。わたしが望むことはひとつで、ひとり暮らしをさせてほしい、ただそれだけなのに。みんながひょいとさせてもらえることを、わたしはさせてもらえない。たくさんの親が望んでも、みんながひょいとはできないことをやったのに。なぜ。

親になったらそりゃ子供の心配が大変だろうけれど、わたしもう22歳ですよ。留年してるから大学生だけど、22歳って一般的に見て社会人ですよ。なんなら20歳になってから一度だって選挙逃したことありませんよ。なんでこんなに過保護なんだろう。過保護が精神的に暴力だって、知ってほしいのだけれど。

わたしこのまま壊れるんだろうか、と不安になる。頼むから、ひとりにしてほしい。すべてのものから離れたい。助けてほしい。いや、ちがう、なにも助けないでほしいのだ。

月からきた人

今日すごい喧嘩をした。父親と母親と結構な喧嘩。わたしがひとり暮らしをしたいと申し立て、それを却下され、わたしが泣きじゃくる(大学生…)。前にも書いたように、わたしがひとり暮らしをしたい理由は、全ての世界から距離を保ちたいからで、別に「恋人と〜」なんて下心1ミリもありゃしない。ただ、可能な限りすぐにでもひとりの時間を確保しないと自分という存在がばらばらに分解していってしまいそうでこわかった。わたしが引き裂かれる感覚がして、だからこそひとりの世界をいちから作るという分かりやすい経験をすべきだと思ったからひとり暮らしをしたいだけなのだ。

それに対して父親は「こころの準備が必要」との回答だった。たしかにそうだ。昨日の今日で娘がいきなり「引っ越します」と、3万円の風呂なし共同玄関のボロボロアパートに引っ越したら気が狂う。しかしそれを聞いてわたしはぶちぎれ状態だった。なぜなら精神的に切羽詰まりすぎて、死ぬか、いますぐひとり暮らしか、くらいの選択肢しか頭にないから。dead or live alone。

精神的に落ち込むのは高校生くらいからずっとで、でもそれを家族に相談したことはなかった。過食嘔吐を4年近く続けていることも、むかし見えない場所に自傷をしていたことも、家族は何も知らない。だって人は明るくなければいけない、というなぞの義務感が一番近い人達に向かって働いていた。近ければ近いほど、遠ざかっていくものとして恋人の心をあげたけれど家族だって十分そうだ。近いものとは同時にはるかに遠いものだということ。家族だからこそ言えない。しかし泣きじゃくって切羽詰まって、この機会を一週間でも逃したら本当に死にそうだと思ったわたしは、つい2ヶ月前くらいにどうしても飛び降りたくて飛び降りたくて、でも自分で命を経つのはだめだから遊園地バンジージャンプをした話をした。「本当に辛くなきゃ、バンジージャンプなんてしない…」と泣きながらポロっと言ってしまうと、母親が大号泣してきた。「なんでそういうこと言わないの!そんなに切羽詰まってるなんて微塵も見せないじゃない!家族なのに!」とわたしの正座のももバンバン叩く。わたしはただ、カーペットの一点を見つめることしかできない。

こんなに生みの親がわたしを心配しているのに、当のわたしは観音開きの扉を閉ざしたように全てを遮断していた。母親の言葉はたしかに正しかったし、この人がほんとうに優しい人だとは思った。けれど、彼女の言葉はまるで2km先で叫ばれた言葉のように、わたしに届く前に空気の無音にかき消されていた。なんでなんだろう、とまじまじ思ってしまった。わたしはわたしという人間の心の開かなさにいつも驚かされ、そしてそれによってひどく落ち込む。

 

わたしは自分という人間が、砂漠の砂なのではないかと考えたことがあった。テキサスの砂と、砂漠の砂の一番の違いは、乾燥の度合いだ。テキサスの砂は乾燥した砂の荒れ地ではあるけれど、雨が降ればそれをしっかりと吸い込んでいく。

高校生の夏休み、まるまるひと月テキサスに滞在してたのだが、15日目くらいにはじめて雨が降ったのを見かけた。朝起きて、朝食を食べているとホストマザーが「雨が降るのは5ヶ月ぶりよ」と言う。家のプールの水面に雨がぽつぽつと波紋を作っていた。派手ではないけれど、ささやかな雨はしっかりとテキサス州ダラス近郊の渇ききった土地を濡らし、そして植物たちは一瞬だけ緑を豊かにした(そのあとすぐ枯れた)。

けれど砂漠は違う。砂漠の砂はテキサスの砂よりもはるかに渇ききっている。渇きすぎた砂は、もはや水を吸うことができない。では雨が降るとどうなるのか?最近では異常気象のおかげか砂漠でもごくたまに鉄砲雨が降るらしいのだが、すると大量の雨は大地に吸われることは一切なく水の塊となって低い方へ低い方へと流れでていくのだと言う。だから、砂漠で一番の死因は枯れた川での溺死だと、なにかのまとめサイトで読んだ。

わたしは自分のこころがまるで砂漠の砂のように感じることがある。恵みの雨をまったく吸う余力がないほど、渇ききってしまっている。誰にもこころを開くことができず、閉じたまま誰かの愛を流しっぱなしのシャワーのように無駄にしている。

母親が夕食の準備をしているとき、犬を外に連れ出した。老犬なのでリードをつけなくとも走ってどこかに行くことはなく、ただてくてく歩く後ろをぽつぽつ追う。空にはうっすらと雲のかかった月が、当たり前だがひとつだけぽつんと浮かんでいた。わたしは夜の青さをひさしぶりに眺めた気がした。夜は黒いのではなく、青い。そしてとても冷たく、ひとりぼっちな気がした。わたしの本体は、実は月で暮らしていて、地球にいるこのわたしは本体の分身でしかないような気がした。黒い宇宙に隔てられ、限りなく絶対に到達できない月という孤独の惑星のなかで、ただひとり、銀色の光の中存在している、それがわたしのような気がした。

家族といても、自分だけが違う層の中にいるみたいだった。家族はひとつ上のふつうの人が共有する現実という層に暮らしていて、わたしはその現実の層のひとつ下のレイヤーにある層で息をしていた。同じ光景を目にしているはずなのに、まったくわたしはひとりぼっちだった。乖離(そむきはなれること。結びつきがはなれること)という言葉がほんとうにふさわしい。現実から乖離してしまった感覚が、確実にしていた。

 

夕食を食べ終わり、部屋で高橋源一郎の『ジョンレノン対火星人』(ふざけたタイトル)を読んでいるとき、ふと竹取物語のことを思い出した。かぐや姫だ。

かぐや姫はもともと地球の子供ではなく、月からやってきた子だった。男から得られる見た目への愛情を全て跳ね飛ばし、やがて月へと帰っていく。彼女は地球の人間にはならず、結局月へと戻っていってしまったのだ。同化できず、けっきょくは地球人を他者と見なして去っていくかぐや姫に、わたしは自分を重ねてしまった。

わたしの母親は沖縄生まれで、戦後の民族同化政策に反発することなく大和文化に同化していった。そして現在首都圏で穏やかに(少々悪趣味に)暮らしている。ほとんどの沖縄出身者はUターンで帰郷してしまう中、母はここで暮らすことを選んだ。彼女は誰かに同化していく力がとても強い。だれかの親身になっていく力がとても強い。いわゆるアイコニックな母親といえる。そしてその母(わたしの祖母)は奄美大島の出身で、これまた沖縄へ越してそこで嫁いだ人だった。言葉も文化も分からない土地に馴染んでいく力がとても強い人々だった。

しかしわたしは違う。誰にも心を開くことができない。母親にさえ。わたしは自分のことを考えてひどく落ち込む。もっと温かくありたかった、愛情を素直に受け止められる人間でありたかった。けれどわたしにはそれができない。母親が心配して泣く姿や声は、2km先の出来事で、わたしはカーペットに視点を落としたまま動くことができなかった。本物のわたしは月にいる。どんなに愛が注がれている最中であっても、心は常に月の上で、ひどく冷たい銀色の光の中、たったひとりきりなのだ。いつか、わたしの分身は月へと帰れるのだろうか。それとも、だれかが月まで迎えに来てくれるのだろうか。月面の上をひとり、なにをするでもなくただあてもなく歩きつづけるわたしめがけて。

お題「今日の出来事」