ぐるぐる雑記

ぬーん

自分しかいない景色、灰野敬二、大瀬崎灯台

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灰野敬二、はじめて知ったのだけど、この曲がとても良いね。

 

「良い曲だな」と思う基準はそれぞれだと思うのだけど、そもそも基準なんかなくて胸にグッとくる曲が良い曲なんだけれど、わたしには良い曲を聴くと明確な想像上の景色が見えるようになる。それはたとえば、ピンク色の夕方の草原に風が吹く景色だったり、はたまた真夏に屋根の下から眺めるギラギラと輝くアスファルトの蜃気楼だったりする。実際に見たことのない明確な景色が、わーっと包んで溢れてくる。

この曲を聴くと、自分しかいない景色が見えてくる。人は誰もいなくて、自分だけがいる。大きく広がる空と、目の前には海があり、そして草原。

 

高校の卒業旅行のことを思い出した。行き先は長崎県だった。カトリック系の学校に通っていたから、長崎で隠れキリシタンたちがどれだけがんばって、それなのに原爆を落とされて自分たちがいかに辛かったか、乗り越えたか、という話をひたすら聞かされるという苦行みたいな修学旅行が恒例行事だった。

長崎に行ったついでに、五島列島にも寄る。長崎から高速フェリーで1時間ほどの、海と山と崖以外、ほとんど何もない島だった。けれどエメラルドグリーンの海はばかみたいに澄んでいて、当時高校生だった馬鹿な女学生たちは感動のあまり思わず体操着のまま海に入り、そのあと先生たちにビショビショの体育着のままこっぴどく怒られるのだった。古典的に廊下で正座。でも記憶に残ってるのって、案外そういう景色だったりするよね。馬鹿で、無知で、けれどもアホみたいになんでも飛び込んでしまうあの時代は、病的で、だからこそ輝いて見える。

五島列島にはとても大きな岬がある。大瀬崎灯台という東シナ海に面した超大型の灯台で、光が届く距離は日本屈指だと言う。

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ウィキペディアから借りた画像なのだけれど、遠い岬の先っちょにポツンと灯台が付いてるのが見える。なんとあの灯台にたどり着くまでには道路から1時間歩かなければならない。距離としては4キロメートルくらいだろうか?崖の高さも100メートルはあるだろう。

その日はすでに夕方で灯台まで行く時間もなく、道路周辺でバスから降りてウロウロしながら景色を眺める。

「あの海の向こうに中国があるんだよ」

バスガイドさんが教えてくれるも、残念だけれど微塵も見えなかった。見えたのは、金色に光る空と海。見える限り、全てが空と海。地球という星の、途方にくれるほど大きな質量を感じて少しぞっとした。遠くに見える巨大な崖の上に、ポツンと光る灯台も見えた。ゴマ粒みたいな灯台がひとつだけ。この巨大な東シナ海に面して、ただひとり海を渡る人々の安全のために一定のリズムで光続けていると思うと淋しい気持ちになった。

その灯台から崖を伝い、わたしたちがいる道路まで、緑色の草原が風になびき続けていた。まるでこっちは緑の海みたいに。

ポツンと光るゴマ粒みたいな灯台と、巨大な崖と、収まりきらない東シナ海の地平線。そしてその景色からは、修学旅行の同級生たちはみんな消えて、わたしだけになった。みんなの騒ぐ声も、姿も、消えて行く。聞こえるのは遠くで波が岩にぶつかる音と、海から吹いてくる強い風の音と、自分の口から出る息の音。わたしと、灯台と、東シナ海。淋しくて、でも美しい風景。

 

灰野敬二を聞いていたら、そんなことまで思い出してしまって夜も眠れなくなった!この!

 

ももう一度行きたいなあ、大瀬崎灯台。地球にロマンと、恐怖を感じられる端っこの島です。