ぐるぐる雑記

ぬーん

大学四年生時のでき婚記録

ひさしぶりにブログ書きます。

妊娠したことでおきた精神的な変化について書いておいた方がいいかなと思ったり思わなかったりしたわけで…。

妊娠って身体的変化以外にどうなっちゃうの…という疑問が自分の中にある一方でネットには情報がまったく無いので自分で書いて覚えておこうと思います。だれも見てないブログだけれど、一応だれかわたしに似た状況に陥ってしまって必死に似た話を探している人がいたらちょっとは役に立つかもしれないし。子供を生んだら忘れてしまう前にメモメモ。長くなりそうなので、まずは「産むか産まないか」と「結婚するかしないか」の2点に関して書こうと思います。ちゃんと書ききれたらいいな…。

 

妊娠したときわたしは大学4年生でした。言い換えれば、「この人との間に子供が欲しい!」という欲求からスタートしたのではなくて、「できてしまった…どうしよう…」というところからのスタートです。最初の難関は、「産むべきか産まないべきか」です。シェークスピア風に言えば、“to be or not to be,that is a problem”(違う)。

自分の来歴(関東圏に育ち都内の中高一貫キリスト教学校に通い、留年せずに福沢諭吉の大学に通う)から判断すると、わたしは現代的な都会の文化に片足突っ込んだ環境で育ったんだろうな〜という気がします。インスタントカメラで写真撮ったり、セリーヌのかばんが欲しかったり、要するに都会のヤッピーって感じの欲求の中でずっと生活してきました。ちょっと文化的なことをかじってすこし得意顔になって、類友なのかまわりには最大手の広告代理店に就職する知り合いばっかりです。別に悪口じゃないけれど、その場所から外れた今の場所から見ると、自分がいた場所は誰かによって再生産された人工的な都会的憧れの中だったんだということがよくわかります。みんなたしかに頭は良かったけれど、その外側にきてしまったわたしから見ると、自分の意志というのが存在しないで選んだ選択肢の中にさえすごさや偉さみたなものがついてしまう世界でした。頭を使わずともハッタリ的な凄みを醸し出すことができる、なんて便利な道具だったんだろうかと思います。結局、今までのわたしの選択は世間が「良い」と決めた価値観の中をただ歩んでいただけだったんです。
だからこそ妊娠に関する問題は山積みでした。はじめて環境的な価値観を借りずに、自分で考えて、自分の意志を持って決めなければいけないことだったからです。結婚して就職をせずに子供を持てば、今までいた華やかな場所から離れることになるし、都会的な孤独の中をさまようわがままな時間がなくなるのも正直言って悔しかった。それにボーイフレンドと結婚していいものかというのも悩みました。とても好きだけれど、色々な面でわたしの手には負えない人かなと思っていたので、そのうち別れる気がしていたからです。
これらの問題を総合的に見ると、わたしの悩みは、自分の人生が自分のコントロールを失うことが怖いということの一点から出ているような気がします。それが本当の意味で自分の意思で動いているコントロールではなかったとしても、自分のわがままが許されない状況に置かれることに耐えうるかどうかがわからなかった。
でも、ここで堕胎をしたら一生罪悪の気持ちに苛まれて生きていくだろうということだけはわかっていました。『風の歌を聴け』に出てくる小指の無い女の子のように、堕胎したらわたしはそのまま誰も知らないどこか遠くへ消えて二度と戻らないかもしれない、という気がしました。だったら、堕胎をして傷ついて死ぬかもしれないのなら、産んでしまった方がきっと得るものがあるはずだ。結局はこれまた自分のわがままのために、子供を生むことにしました。けれどもこれは単なるわがままではなくて、責任と意思を伴うわがままなのです。だから子供に辛い思いをさせてはいけないという義務がわたしにはあるはずです。産むと決めたからには、大事に精一杯育てるのです。そういうわけで、わたしは堕胎せずに産もうと思いました。ボーイフレンドにも自分の気持ちを話した上で、結婚することになりました。
まずここまでで、産むか産まないか、ということでした。産みますよ〜!ちなみに予定日まで残り1ヶ月をきり、お腹重すぎです。巨大児疑惑により、精密検査になりました。あはは、笑えない…。

 

結婚に関しては、夫のプライベートもあるわけなのであまり書こうとは思わないけれど、ひとつだけ。
キリスト教風の結婚式の誓いの言葉、神父さまが確認してくる内容で
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
という確認があるとドラマで見たことがあります。わたしは結婚式はあげてないので細いことはよくわかんないけれど、「この人で良いのだろうか…」という疑問を持ったとき(失礼なヤツ)、病めるときも悲しみのときも貧しいときも、この人と一緒にいられるかな、っていうのをひたすら考えました。かっこいいし、素敵だし、頭いいし…等々のプラスなところは判断材料ではないんです。健やかなるときは、人生の問題も難関もとくに苦心せず乗り越えられるわけだし。ではなくて、鼻毛出てたり服を脱ぎ散らかしたり、責任感なかったり逃げ癖あったり…そういうマイナスなところをわたしどれだけ許せるかな、ということをイメージしといた方がいいと思いました。「許せない」が募るときっと仲悪くなる気がしたので。
結局、彼のマイナスの部分をわたしは許せると思って結婚したわけです(ちなみに相手がわたしと結婚してもいいかな…と思った理由は怖くて聞けてない)。

そういうわけで、まずは大学生だったわたしが子供を産む・結婚をするという選択に至ったまでの考えをメモりました。次こそ、妊娠して感じた性の精神的変化について書けたらいいな…。
つづく…(のか?)