ぐるぐる雑記

ぬーん

嘘日記『パールを拾った話』

電車を待っていた。
夜の駅は、深まっていく秋の空気に包まれていた。秋の闇はベルベットの濃紺の生地。すこし紫がかったベルベットの生地。
「あっ」というおばあさんの声が聞こえた直後に、軽いものがいくつかホームに当たるぱらぱらという音。片手におさえられた手首を見ると、おばあさんがしていたパールのブレスレットが切れたみたいだった。ほとんどのパールはとっさに添えられた手の平に収まっていたけれど、いくつか、3つ4つは、ホームを転がっていた。
秋の夜、ホームの白すぎる蛍光灯、蛾が伝統にぶつかるぱちぱちという音が聞こえて、ベルベットのような闇の中を、いくつかのパールが転がっていく。
わたしは少し遠くまで転がっていったパールを追いかけた。たぶん、ホームの真ん中に置かれた待合用の椅子の下に潜り込んでしまったのだろう。そこまで小走り、そしてしゃがむ。見つからない。
「電車が到着します」、アナウンスとともに、大きな金属音が風を連れてきてホームに滑り込んでくるのが背を向けていてもわかる。降りる人などめったにいない、深夜の駒込駅。扉の開く音と、アナウンスだけが強調されたように響いていた。わたしは地面を必死に目でなぞっていた。椅子の下を何度か左右に見て、何も見つからないことに焦っていた。電車が行ってしまう。
「あった」
パールは椅子から少し離れたところに転がっていた。夜の駅の、色彩と音を欠いたその真中に、ひとつ、佇むパール。電車の扉が閉まる音。
わたしはそれを、人差し指と親指でつまみ、立ち上がり、振り返った。電車はすでに秋の闇に吸い込まれ、電車の正面についたふたつのライトは、まるで焦点が合わない目のようにどこも照らしてはおらず、頼りなさげにただ小さく小さくなっていっていくだけだった。ホームには、誰もいなかった。おばあさんは、落としたパールのことなどどうでもよかったのか、電車に乗って、どこかへ行ってしまった。
おばあさんの顔は思い出せない。おばあさんはいくつか粒のたりない足りないブレスレットを、また紐で結わって使うのだろうか。落としたパールのことなどきっといつか忘れるだろう。
けれど、わたしの手のひらには、パールがひとつ。揃わないパズルのように、いつまでも迷子のパールがひとつ、ベルベットのような闇の中、一粒だけただ静かに、まるで息を潜めた蛾のように、佇んでいた。わたしだけが、世界のエアポケットに取り残され、おととい出された宿題の答えがいつまでも分からない小学生のように、ただ、パールの表面の光沢を覗くだけだった。
 
 
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嘘日記楽しいな。