ぐるぐる雑記

ぬーん

打ち上げられたブログ

読む人がいないけどブログを書くのって楽しいよね。孤独な星の唯一の住人になった気分。宇宙に向かって、ひたすら信号を送りつづける。

まあどうせすぐに飽きてやめることも目に見えてるんだけれど。それでも打ち上げられた流木みたいな(社会学者の岸政彦の言葉)ブログの残骸を見るのも、悪くないよね。

 

中学生のころに、やたら携帯サイトが流行った。今からちょうど10年くらい前。あの頃はガラケー全盛期で、ツイッターフェイスブックもなくて、あるとすればミクシィ。でもそれもやらずに、自分でHTML組み立てて携帯サイト作ってた。仲良い友達がやってたからってのと、その子のことを執拗なまでに知りたかったからなんだけれど、でも案外ハマってしまった。

どのサイトにもお気に入りの別サイトへの「リンク」をまとめたリンクページがあったりして、そこから飛んで、違うサイトへ行くのがとても楽しかった。どのサイトも、だいたい閑古鳥鳴いてて、でもそれは最初に書いたような、孤独な星の唯一の住人たちが静かに送る宇宙への信号感があった。

繋がろうと思えばミクシィとかで繋がれたけれど、やはりそれは居心地の悪い場所だった気がする。同じ部屋にみんな突っ込まれた感じ。携帯サイトはもっと、わたしだけの場所だった。他のサイトのデザインがよければ、その素材元のサイトに飛んで、素材をゲットして、自分のサイトを模様替えして、素材サイトのURLを貼った。みんな今なんかよりずっと、著作権をきちんと守っていた気がした。転載元を書いて、違う場所へ飛ぶリンクを作ることは、同じ太陽系の仲間同士をつなぐゆる〜いネットワークのひとつだったんだと思う。ゆるやかなルールが、孤独な星を太陽系の一部として迎えいれてくれた。

昔使っていたidとかをたまにググってみる。難破船みたいにほったらかされた、中学生のわたしの言葉が、あのときと変わらない装いで出てくる。変なの、時を超えて、年を取るのはわたしだけね。ネットに取り残されたあの頃のわたしの言葉は、劣化することなく、けれど誰にも見られることなく、ただそこにあり続けてる。

もう削除するためのパスワードも何もわからない。そういう、やりかけのものたちがなくならないでほぼ永遠に保存されていると思うと、ネットはとても寂しいものな気がしてしまうよ。地球の周りを回り続けた、ライカ犬みたいに。