是枝裕和『映画を撮りながら考えたこと』高橋哲哉『記憶のエチカ』とか
読んでみたいな〜と思っていたら時間ができたので立ち読み。
「自分のことを語るのは嫌だけれど・・・」と言いながら、なんやかんや500頁くらいのやたら分厚い本。基本的には撮った映画を時系列的に並べて、そのときに考えていたことを是枝さんがつらつらと書くという本。
なんでこれを読もうかと思ったかと言うと、これまた違う本なのだけれど、高橋哲哉の『記憶のエチカ』という本を図書館でチラ読みしたのがきっかけ。
「「記憶」は「和解」や「赦し」を可能にするのか。戦争の記憶を哲学はどのように語ることができるのか。出来事から出発し、出来事をめぐって哲学するとはいかなることか。(…)安易な「物語」への回収を許さない体験・証言と向き合い、戦争の記憶とその語られざる「声」に耳を傾ける思考のあり方を問う。歴史修正主義や戦後責任、歴史認識を考えるときの必読書。」
このちょっと重めの本の中で、是枝監督が初期に出した「ワンダフルライフ」という映画に触れる。演技ではなくナマの語りは引力が強いという話題。
映画は、亡くなった人たちが天国に持っていく記憶を選ぶ話らしい。『記憶のエチカ』の中では、この映画で配役された、役者ではなく一般人の語りの強さに触れる。映画の中なのだけれど、一般人の出演者はセリフではなく、実際に生きてきた人生のなかから1番大切だと思う記憶を選んで話す。見てると、たしかに演技と実際はまったく違う。厚みが違う。どんなに演技の人がうまくとも、実際の体験としての話が持つ厚みには到底届かなかった。
これは余談なのだけれど、「生きることの厚み」がすごく滲み出ている絵を去年見た。あの有名なジクムント・フロイトの孫で、ルシアン・フロイト英国屈指の巨匠がいる。彼は自分の身のまわりのひとしか書かないのだけれど、ふだん一緒に生活しているからこそある観察力が絵から滲み出ていてすごい。それこそ、ここに書かれている「演技」なのに、「実物」ばりの生きてることの厚みが絵にある。
(東京ステーションギャラリーに展示されていた「少女の頭部」という作品。「どこが少女・・・?」と思うのだけれど、目の前に立つとまるでメデューサに睨まれたみたいに身動きがとれなくなってしまう。)
話もとに戻り、そのワンダフル・ライフをyoutubeでちょっと見たというのと(全編アップロードされている)、前にネットでこの本が出たときの作者インタビューで「学生はものを作るやつが偉いと思ってるけど、そうじゃなくて実際に生きてる人が1番偉いんだ」みたいな発言が載っていて、あー読みたいなと思っていたわけです。
まあそういうわけで『映画を撮りながら考えたこと』を読んでたら、「不在を抱えてどう生きるか」という章があった。たしかその章では「誰も知らない」という映画を取り上げていた。
「誰も知らない」はシングルマザーの母親に捨てられた子供4人が、暮らしながらもあるきっかけで兄妹を事故で殺してしまいそれを山奥に埋めてしまう話。結末がとくにあるわけではなく「暗い」と他のプロデューサーに言われながらも、変えずに撮りきったらしい。あたり前だけど生きるということは結末があるわけでもなく、ふわりふわりと前に進む。結末があるのは君の名はみたいな大箱カンドー映画だけなんじゃないかと思う。是枝監督の映画はいつも、少し前を向く、みたいなテンションがあって生きるだな〜と思う。
兄妹を間違えて殺してしまっても、母親が蒸発してしまっても、彼らは逃げずにひとつのところに住みつづけるのだという。人を殺したら逃げそうなのに。子供たちは母親の優しい思い出と、その場所で暮らした記憶があるから、そこを動かない。そのものはそこにいなくて、不在だけれど、そこで生きていく。
この映画をどこかで上映したとき?上映会を行ったとき?にその映画館の館長さんから吉野弘の「生命は」という詩を送られたという。「生命は / その中に欠如を抱いだき / それを他者から満たしてもらうのだ」。きっとあなたの映画のテーマにぴったりだから、と。
わたし自身、なんだか誰かの輪に入りたいよ〜と思いながら失敗し続けてきたな、と思った。他者から満たしてもらいたいのだけれど、それがうまくいかない。中学生からずっとそんな感じ。
ただ最近、卒論を進めていくうちに、そのテーマからどんどんと何かの輪に加えてもらっている感じがするのです。生きることとはなんだろう、自分のアイデンティティを社会に求められなかったらどうすればいいんだろう。当事者研究みたいなことをしているのだけれど、そのことによって自分の中の引っかかりがどんどん意識されていく。そうすると、いきなり読みたい本や見たい映画がわっ!と増えた。
今まで本も映画もなんだか好きだけれど、決定的に好きというわけではなかった。輪に入りたいけど入れない、輪の周りでとりあえずウロウロしている人だった。けれど、深く研究に関して考えると、どんどん世界がわたしに輪に加わっていいよ、と言ってくれる。読みたい本がつぎつぎ浮かんで、ひさしぶりに本屋さんがとても楽しい。
欠如を満たしてくれる相手というのは、必ずしも人じゃなくていい。わたしは人の輪がとても怖くて、対人関係がうまく結べない人だからこそ、誰かが書いた言葉や作品がわたしの欠如を少しでも満たしてくれるんじゃないか、そのための場所にやっと入れたんじゃないか、と。とてもうれしくて、生きることに前向きになれそうなここ最近なのです。
たくさん本が読みたい!詩を読みたい!映画を見たい!学問したい!
そんな気持ちになりました。