ぐるぐる雑記

ぬーん

谷川俊太郎『ひとり暮らし』、ひとり暮らししたい。

ひとり暮らしをしたくてしたくて、『ひとり暮らし』という本を読んでみた。谷川俊太郎は、中学生の頃だいすきだった友達が気に入って読んでいたので、なんとなくずるずると10年近く読み続けている。
2009年に書かれた本だから、最近の詩のごとく柔らかくて温かい雰囲気を持ってるのかと思いきや、すこし冷笑的で意外にも世界に対してちょっと冷たい。まあでもそんなもんか、と思う。デビューの頃の作品は、自分の殻に篭っていて冷たくて、でもそんな空気が、世界に馴染めなくて孤独を感じているときにとてもしみる。

この本の中の「恋は大袈裟」というエッセイは、谷川俊太郎が恋を通して、母・他者・宇宙を求め、少なくともそれらの一片には触れることができる、みたいなことを言ってんじゃないかなあ、と思う。

「私の初めての恋の詩のひとつに「…私は人を呼ぶ/すると世界がふり向く/そして私がいなくなる」という行がある。他のどんな人間関係にもまして恋はエゴイズムをあらわにするが、同時にそれは個を超えて人を限りない世界へと導く。その喜びと寄る辺なさに恋の味わいがあるる。人は経験によって、また想像力の限りをつくして、それをことばにしてきた。
ひとつのからだ・心は、もうひとつのからだ・心なしでは生きていけない。その煩わしさに堪えかねて、昔から多くの人々が荒野に逃れ、寺院に隠れたが、幸いなことにそんな努力も人類を根絶やしにするほどの力はもてなかった。」

…個を超えたところにある、喜びと寄る辺なさ。
近づくほどに遠くなるもの、それは恋人の心。近づけば近づくほど、どんどん遠ざかる。ふたりでいることは、ひとりひとりが際立つこと。どんなに求めても、絶対に分かりあえることなどあり得ない。恋の寄る辺なさって、きっとこういうこと。
周りのひとのことを知れば知るほど、わたしは世界から孤立していく気がする。本を読めば読むほど、自分が孤独になり、渇いていく。知れば知るほど、世界は相対的に広くなっていき、わたしは相対的に縮んで小さくなっていく。英語なら、shrinkがいちばんふさわしい。

なんでひとり暮らしをしたくてしたくてしょうがないかと言うと、わたしの持つ世界ひとつひとつがバラバラにわたしを引き裂こうとしていくようか気がして、なにかひとつの力の上でそれらを維持しないと、本当にバラバラになって自分が崩壊しそうだから。
家族、恋人、友達。人間関係のそれぞれの世界がひとつひとつが断絶してわたしの中に存在して、それぞれの世界がそれぞれの関わり方を持っている。もしくは求めてくる。そうなるとわたしをいま支える基盤となる世界がない。家にいても、わたしは家族という世界と関わり、振る舞いを求められる。わたしを形成する空間がいま必要で、わたしはひとりの時間を欲している。それを持ったうえで、誰かの世界に関わらないと、わたしは求められる世界に毎回形を変えることで自分をどんどん分裂させていってしまう。わたしはそれぞれの世界によって引き裂かれる、そんな予感が不穏にもしてしまう。
人と関係を持つことで感じる無限の寄る辺なさを支える自分が必要で、それはひとりの、本当にひとりの時間を確固として持つことによって、すこしは得られるんだと、いまのわたしは信じてやまない。
もうひとつのからだ・心に関わるには、まず自分のからだ・心を確かめないと、うまくやれない、そういう硬くて柔軟性のない、わたしという存在に嫌気がさしてさしてしょうがない。