ぐるぐる雑記

ぬーん

内田樹『困難な結婚』

いやはや、ブログの更新がお久しぶりである。その間に、すんごいいろんなことがあった。生きるの辛い!!から少し脱出できたと思ったらまさかの状況である…。

さいきん、内田樹の『困難な結婚』を読んだ。なぜか、結婚するから。

 

困難な結婚

困難な結婚

 

 

大学をあと一ヶ月で卒業とはいえ、まだ私も彼も内定ももらっていない(おいおい一応良い大学行かせてもらってるのになんでだ)。なにゆえそんな状況で結婚をするのか。「既成事実」である。できちゃったわけだ。
できちゃったことに関してはことさらここで書く必要もない。できたことにはできてしまったからそれはもう殺すことはできないわけで、じゃあゆるりと育ててみようかということだ(現実を甘く見すぎているか)。

問題は結婚生活である。私と彼の共通点は、責任から逃げまくってきたことだ。良い意味でマイペースで、悪い意味で言えば無責任。しかしまあ、そのマイペースさから言えば彼は人間としてはとてもおもしろい。台湾から帰ってきたらよくわからないうちにクリスチャンの洗礼を受けていたり(断るのが面倒だったらしい)、家賃滞納で家を追い出されて浅草でホームレスをして炊き出しに混ざってタダ飯を食っていたり。でも、無責任という面でとらえると結婚相手としては正直「?」である。彼の方もそうみたいだ。
「付き合うのはいいけれど、この人と結婚していいのかな・・・」
そんなもやもやとした思いを私も彼も抱えているわけである。それに私の家庭は離婚家庭ではないが、彼の家庭が離婚家庭なので結婚そのものに離婚の要素を見出してしまって不安になってしまうみたいなのである。

そういうわけで、『困難な結婚』を読んだ。結婚…想像するだけで困難だよな…(もう卒論どころではない)。

大きく学んだ点はひとつ。「結婚は相手がどうだこうだというより、自分がどうなるかどうであるか」ということ。内田樹いわく、『大体だれと結婚しても一緒』な訳は、結婚相手によって自分の中のある一面が顔を出すわけで、ある一面は結局は自分の中にもともと存在している一面なので(とまでは書いてなかったけど)、結局だれと結婚するかというのは自分の中のどの一面が顔を出すか、ということに過ぎない。だからもし結婚して「なんであいつの無能のせいでこんなに苦しい思いしなきゃいけないねん」ってなったとき、それはあいつのせいじゃなくて自分のせいでもある。まあたしかにそうだよね。恋愛でもそうだもんね。

よくよく結婚に関して考えてみておもったのは、相手はけっきょく他人だということ。彼氏〜彼女〜ってほやほやしてる間は、「この人だけが世界での理解者だ…」なんて思うこともあるわけで、この孤独で冷たい世界で見つけた北斗七星みたいな存在…とか思うこともあるんだけど、結婚を意識すると、突然他人という要素が強く感じられるようになる。育ってきた家庭がちがけりゃ、地域もちがう。私は田園地帯の田んぼの中で育ったから田舎が結構好きだけど、彼は都会が大好き。神奈川の実家で間借りしようとなっても、「ああ僕の都会ライフ…」なわけである(そんなこと言える状況か)。
でも違って当たり前で、その違うっていう事実を楽しめないと結局ツマンナイんだろうねって内田樹は言っている。違ったとこが多いほど、年月を重ねて似てくるところが増えて、それが結婚の醍醐味だって。まあそこまで辛抱するのが大事だよね。「結婚は辛抱だ」 by 父。

しかし不思議なのは子供という存在。子供にとっては、他人であるはずの私/彼は血の繋がった家族なのだ。確かに小さい頃、お父さんとお母さんが離婚することは想像すらできなかったのは、血の繋がった家族はずっと一緒であるということを疑いなく信じていたからな気がする。けれど実際は、お父さんとお母さんは他人。子供の私から見れば、みんな血が繋がってるけれど、でも違う。不思議すぎる。
正直、彼に対しては「私のこと大切にしなくていいから、子供は大切にして」って感じである。他人なんだからもう夫婦は会社関係ぐらい割り切れる関係であって、でも子供だけは別。子供だけはちゃんと大切にする。わたしの分身なわけなので。

うちの両親はなかなか仲がよい。まあ寺という職業柄ずーっと一緒に仕事して生活してるのもあるが、それでもお昼に来客がなかったりすると2人でオープンカーに乗って箱根にドライブしてくる、小田原に蕎麦食べてくる、とか結構している。マイルスのCD聞いていた父が突然「お母さん!ちょっと一緒に聞いてよ。やっぱりマイルスってすごいかっこいいんだよ」なんて言ってお母さんをリビングから音楽室へと連れ去ったりする。でも両親のことをよくよく観察していると、これはお互いかなり他人だと思ってるな、と感じたりする。しかし、「お互い他人」の先にある次のステージに両親はいるということもひしひしと伝わってくる。他人だと割り切った上で、夫婦であることの、ちょっとやそっとではびくともしないだろうという関係性の強さというのがうちの両親にはあるのである。
「嫌いになってもねー、我慢をぐっとすればそのうちまた元に戻るから」という母の言葉が身に染みる。嫌いだからって別れられないのが結婚関係なわけで(とわたしは両親を見て学んだ)、けどイヤダイヤダと言いながら続けたらそれなりに良いと思える未来があるんだろうな、と。例えばそれは、キューバに行ってきれいな景色を見て強盗に襲われて危機一髪とか、中国で人身売買されそうになるとか、そういう独身時代だからできる破天荒でおもしろい未来からは遠く離れてしまうだろう(全くできないということはないんだろう)。けれど、結婚して、イヤダイヤダと言いながら続けて、じゃないと見えない人間関係だって、なんか、まあ面白そうじゃん、とか思ったわけだ。
「結婚する相手が現れません」、という質問に対して内田樹はこんな風なことを言ってた。出来る人や楽しめる人というのは与えられた状況の中で創造的に判断ができる、と。大事なのは、自分の身の丈をちゃんと把握することと、与えられた状況でいかによく生きていくか。与えられちゃったんだもん、がんばるしかないよね。

 昨日まで貧血&つわりでグロッキーだったのが嘘のように今日は元気で頭も動くようになったので、KISSの『KISS』とか聞きながら、通学途中に日記などを書いてみた。


というわけで結婚しまーす。